渋川春海は、
中国の
授時暦を元に自ら観測して求めた日本と中国との里差(経度差)を加味して、日本独自の暦法を完成させ、
大和暦(やまとれき)と命名した。当時使われていた宣明暦は、800年以上もの長きに亙って使われたため誤差が蓄積し、実際の天行よりも2日先行していた。また、各地で独自に宣明暦に基づいた暦(
民間暦)が発行され、それらの中には日付にずれが生じているものもあり、暦の全国統一をする必要があった。
朝廷は、当時
明で使われていた
大統暦に改暦する予定であり、貞享元年
3月3日には、大統暦改暦の詔まで出されていたが、渋川春海が採用を願い出た大和暦を採用することとし、当時の
元号から「貞享暦」と命名した。渋川春海はこの功により、幕府から新設の
天文方に任命された。