諏訪湖 wikipedia|無料辞書
◆地理
その他の規模は右の表を参照。
◆水質
諏訪湖はかつて非常に水質のよい湖であり、江戸期には
琵琶湖や
河口湖から
蜆が放流され漁業も行われていた。しかし、戦後の
高度経済成長期にかけて生活排水などにより湖の
富栄養化が進み、水質が悪化した。特に70年代から80年代にかけては、
アオコが大発生し湖面が緑色になり、悪臭が漂い発泡するなどといった環境悪化が見られた。近年は市民や行政が積極的に水質改善に取り組んだ結果、現在では大幅に水質が改善されているものの、かつての姿を取り戻すまでには至っていない。
◆ 全面氷結
かつては毎年のように分厚い氷が湖面をおおい、湖面では
ワカサギの穴釣りをはじめ、
アイススケートなども行われていた。近年は水質悪化や
地球温暖化などが原因となり、全面氷結が見られる年は年々減少している。また、氷の厚さも薄くなっており、スケートなどを行うのは危険である。しかし、ワカサギの穴釣りを楽しむ観光客がたくさん訪れる。
◆行事
・4月 諏訪湖開き
◆御神渡り
冬、諏訪湖は氷結する。
氷は、膨張した後に気温が下がると収縮する為、気温が下がる夜中に氷が収縮、亀裂が入る。その亀裂の隙間に水が入り、薄い氷ができる。日中、気温が上がると氷は膨張する為、両側から圧力がかかって薄い氷が割れ、せりあがる。これが繰り返され、
御神渡り(おみわたり)になる。
・正確には
諏訪大社上社から下社の方向へ向かうものを御神渡という。一説によれば、上社の男神の「
建御名方命」(たけみなかたのみこと)が、下社の女神である「
八坂刀売命」(やさかとめのみこと)に会いに行った足跡とも
ミシャグチ神が通った跡とも言われており、神が諏訪湖へ降り立ったといわれる諏訪市側を下座(くだりまし)、下諏訪町側の、神が岸へ上がったとされる部分を「上座」(あがりまし)という。
・御神渡りが観測されると、諏訪市の縣社八剱神社(やつるぎじんじゃ)の
神主により、
神事が執り行われる。御神渡りが観測されてからは、大総代等の役員は質素な生活を送り、身を清める「精進潔斎」(しょうじんけっさい)にはいり、拝観式に備える。
・御神渡りはできた順に「一之御神渡り」「二之御神渡り」と名づけられる。そのうち、二本の御神渡りが交差するものは「佐久之御神渡り」と呼ばれる。
・御神渡りの亀裂の入り方などを過去の記録と照らし合わせて、その年の天候、農作物の豊作・凶作、世相などを占う。
・御神渡りが観測されなかった年は「明けの湖」(あけのうみ)と呼ばれる。
・御神渡りは湖が全面結氷し、かつ氷の厚みが十分にないと発生しないので、湖上を歩けるか否かの目安の一つとなる。但し、氷の厚さは均一でなく大変危険なので、実際に氷の上へ乗ってはならない。
御神渡りの記録は「神渡帳(みわたりちょう)」と呼ばれる書物に記されている。この記録は 14世紀ごろから続いており、当時の農作物の成育状況がともに記されていることから、地球で現存する気象記録のなかでももっとも古いもののひとつに数えられる 。
◇2006年の御神渡り
2006年(平成18年)
1月10日、
2004年以来2季ぶりに御神渡りが観測され、1月13日に拝観式が行われた。この観測日は、
1904年(明治37年)及び
1927年(昭和2年)の1月9日に拝観式が行われたのに次ぐ2番目の早さである。3本の御神渡りが観測され、その隆起は最大で約60センチメートル、氷は厚いところで20センチメートルほどになった。
このシーズンは、
2005年(平成17年)12月には既に諏訪湖が凍結しており、さらに2006年1月に入ってから諏訪湖周辺では氷点下10度以下という厳しい寒さが続いたために、御神渡りの観測が早まったと見られている。
◆間欠泉
間欠泉に面しては諏訪湖間欠泉センターという施設が建設され、間欠泉について解説プレートなどを用いて解説しているほか、一般客が間欠泉の噴出を見物することができるようになっている。同センターに隣接した公園内には温泉を利用した
足湯の設備が無料で開放されており、間欠泉見物の時間待ちや散策の足休めとして足湯を利用する人々の姿が見られる。
しかし、ここ数年で徐々に勢いが弱まっており、数メートルしか上がらないこともある。
◆諏訪湖と観光