ただし、「西ローマ帝国」と「
東ローマ帝国」というのは共に、後世の人間による呼称である。当時の政府や住民は自らの国を単に
ローマ帝国と称しており、複数の皇帝が帝国領土を分割統治するのも、単に広大な領土を有効に統治するための便宜にすぎないと考えていた。この観点からいうならば、西ローマ帝国・東ローマ帝国というふたつの国家は存在せず、それらは、ひとつのローマ帝国の
西方領土(西の部分)と
東方領土(東の部分)だったということになる。西ローマ帝国が滅亡した後、東ローマ帝国は(滅亡の1453年にいたるまで)自らの国家をローマ帝国と自称したのも、こうした認識によるものである(
東ローマ帝国の項を参照)。