岐阜県議会も賛成までは全村合併が規定路線であったため村は平穏だったが長野県議会の反対以降急転、村は岐阜県合併派・長野県内合併派に分裂し意見対立から隣同士が目を合わせないといういがみ合いが発生。ついには
長野県警の機動隊が常駐するという最悪の事態まで発展した。騒動は
内閣総理大臣の裁定にゆだねられることとなったが結果は
「越県合併を認める」。しかし自治庁の裁定で
「馬籠など北部3集落は長野県残留、その他は岐阜県へ」 と決められ結局両県納得という形で幕引きとなったのである。こうして上記の形で越県合併されて消滅したのであった。
騒動のさなか一番つらい思いをしたのが当時の子供たちで、唯一の教育機関、村立神坂小中学校は対立以降長野県内合併派の子供が
村八分状態にされ、村内の寺などを借りて授業を続けていたが合併が決まり中津川市立となるや完全に弾き飛ばされてしまった。そこで長野県は山口村立神坂小中学校を作って受け皿を作るなど対応に追われた。しかし山口村に編入された旧馬籠村地区にも岐阜県合併派がいて、学校が出来て以降、今度は同派の子供が同校の出席を拒否して地区内の民家を借りて授業を続けるという事態が起きるなどしこりが残っていた。