当初はレースに参戦する費用の捻出のために、旧モデルとなったレーシングカーを
ロードカーとして仕立て上げて貴族や富豪に販売していたが、250シリーズで初めて市販車の製造を開始した。しかしながら、初代は熱い、うるさい、乗り心地が悪い、故障が多いなど、不評も多かった。シリーズを重ねるごとに改良は進んだが、エンツォは自社の市販車にスポーツカーという言葉は用いなかったばかりか、乗り心地や快適性を求める購入者を蔑んでいたと言われる。
当時の市販車は、それまでのフェラーリにしては量産車と言える物であったが、その価格は依然として高かった。その割りに工業製品としての品質は低く、工作精度や品質のばらつきが大きい上に、ロードカーとしては設計上の問題も多かった。後に
フィアットの傘下に入ってある程度の品質向上はできたものの、そもそもエンツォ自身がロードカーの開発に積極的でなかったためか、依然としてどこかに設計上の問題点を抱えていた。カタログ上の性能の向上はもちろん進んでいたのだが、ボディ
剛性、
サスペンションシステム、
ミッドシップにもかかわらず高い重心など、「スポーツカー」としての性能はいまひとつであった
[これはそもそもフェラーリ社がスポーツカーとしての設計をしていなかったため当然とも言える。]。そのため、限界速度域での挙動がデリケートで運転が難しくなり、「跳ね馬」成らぬ「じゃじゃ馬」と呼ばれていたこともある。ただしレース用車両をベースに開発された市販車はその限りではなかったようである。
またその後エンツォは、元来興味の薄い市販車部門からは一切の手を引いてレースのみに専念することとなる。そして市販車部門をフィアットの意向が支配するようになった結果、比較的安価な量産スポーツカーとしてV型8気筒エンジンを搭載したスモールフェラーリ「
308」シリーズが生まれ、フェラーリ史上最大のヒット作となった。308のエンジンはランチアのレーシングマシンや
ランチア・テーマに使用された
[ランチア・テーマ8・32の「32」は3.2Lではなく、32バルブの意である。]。これはやがて
328へと発展し、そして、
348へと発展し、自動車メーカーとしてのフェラーリの屋台骨を支え、
F355、
360現在の
F430にも連なる
V8フェラーリの系譜となった。