2008年現在、ケネディ宇宙センターが運用するのは打ち上げ発射台39A・39B、着陸用滑走路、シャトル組み立て棟などを含む
スペースシャトル関連設備のみである。その他の全ての無人ロケットの運用は
アメリカ空軍によって運営されている
ケープカナベラル空軍基地 (CCAFS) (北緯28度28分03秒・西経80度34分00秒) にて行われている。
1950年代後半から始まった
ソビエト連邦との
宇宙開発競争で劣勢に置かれていた
アメリカは、
1957年にソビエト連邦が世界初の
人工衛星スプートニク1号を打ち上げたことに対抗して、
1958年にアメリカ初の
有人宇宙飛行計画となる
マーキュリー計画を発表した。
1961年5月5日には
アラン・シェパードを乗せた
フリーダム7が発射され、約15分間の弾道飛行を成功させた。この成功を受けて、1961年
5月15日に
ジョン・F・ケネディ大統領が演説し、「1960年代中に
月への有人飛行を実現する」とした、月飛行計画が発表された。最初のマーキュリー計画の成果は、次世代の
ジェミニ計画・
アポロ計画へと引き継がれることになった。アポロ計画の前段階として実行されたジェミニ計画では
タイタンII型ロケットが使用されることになり、空軍基地が隣接するメリット島まで拡張されることになった。
1962年にNASAは土地の取得に乗り出し、340km² の土地の所有権を獲得した。さらにフロリダ州との交渉の結果、230km² の土地を追加で取得した。この新しい基地は1962年7月に
打ち上げ運用センター (Launch Operations Center) と名付けられたが、ケネディ大統領の暗殺を受けて、翌年の
1963年11月に
ケネディ宇宙センターと改称された。同時にケープカナベラルの地名もケープケネディと改名されたが、地元住民がケープカナベラルの名を惜しんだこともあって、これは
1973年に元の名前に戻された。
アポロ計画に際しては、より大型の
サターンVの打ち上げに対応するために、およそ8億ドルをかけて
コンプレックス39が整備されることとなった。エリア中央部には、サターンVを4機収容することができる巨大なロケット組立棟 (Vehicle Assembly Building; VAB) が建てられた。これらの設備の建設は1962年11月に始まり、VABは1965年6月に完成し、新しい発射台も同年10月には完成した。アポロ計画ではコンプレックス39の運用により、13機のサターンVが打ち上げられた。(ちなみに、初期の
サターンロケットであったサターンIとサターンIBはケープカナベラルの射点34から発射された。)
一方、アメリカ空軍はタイタンII型ロケットの打ち上げ能力をさらに高め、タイタンIIIとタイタンIVを開発していた。これらのロケットをケープカナベラル空軍基地内で打ち上げるために、射点40と射点41がケネディ宇宙センターの南方に設置された。タイタンIIIはサターンIBとほぼ同等の打ち上げ能力を持ちつつ、大幅なコストの節約を実現した。以後、これらのロケットと発射台は
軍事・
偵察衛星や
通信衛星、
気象衛星の打ち上げに使用されたり、時折NASAに貸し出されてNASAの
惑星探査機が打ち上げられたりするなど、重要な発射場として注目されるようになった。