早くから技術者志望で、当初はパルプ関係の技師を目指していた。オレブロの技術学校で化学を学んだ彼は、1911年、24歳の時にイギリスに渡った。そこで、
ウィリアム・モリスが
モーリス自動車で製造を開始したばかりの最初の自動車に、最初の1,000基のエンジンを提供することになった
ホワイト・アンド・ポップ社で設計技師となった。
イギリスでの数年間を自動車設計に携わって過ごした彼は、スウェーデンに帰国後はアメリカの自動車会社の設計家達と文通を行い、自分のアイディアの検討を依頼するなどしていた。この文通でラーソンはスウェーデンでもトップクラスの自動車設計の知識を持つこととなった。